西村賢太の経歴や出身学歴!結婚しない理由は父親だった?

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芥川賞作家の西村賢太さんの訃報に話題になっています。

54歳というあまりにも突然で早すぎる西村賢太さんの訃報ですが、改めて気になるのは西村賢太さんの経歴や出身学歴などその人柄ではないでしょうか?

また、西村賢太さんは結婚をせず生涯独身を貫きましたがその理由の裏には父親の存在があったのでは?との噂も…

そこで今回は『西村賢太の経歴や出身学歴!結婚しない理由は父親だった?』としてまとめていきたいと思います!

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西村賢太の経歴

西村賢太さんは東京都江戸川区春江町出身です。

祖父の代から続く運送業者の家庭に生まれた西村賢太さん。

実家は下請け仕事が中心で、トラック3台、従業員は最盛期でも4人という零細企業だったそうです…

西村賢太さんの父親が起こした事件により両親は離婚。

西村賢太さんは3歳上の姉と共に母子家庭で育った幼少期だったそう。


幼少期に姉の影響で『赤毛のアン』を愛読してたのとの噂がありましたが、こちらに関してはご本人が否定しています(笑)

幼少期はそこまで本とは縁が無かったようです。


江戸川区立二之江第二小学校5年の2学期に千葉県船橋市原木中山へ転居し、さらに小学校6年に進級する春休み中に東京都町田市のコーポへ転居します。

中学で不登校に

家族で町田に引っ越した西村賢太さんでしたが、父親が起こした事件の真相にショックを受け、中学時代には不登校になってしまいます。


国語を除くと成績は「1」ばかりでローマ字も書けず、高校は全寮制の東京都立秋川高等学校しか行くところがないと担任に宣告されたことも。

しかし、寮生活が嫌で進学せず、家を出て東京鶯谷の家賃8000円のアパートに下宿。

やがて、家賃を4か月滞納したまま1年半で鶯谷のアパートから強制退去処分を受けてしまった西村賢太さん。


飯田橋、横浜市戸部町、豊島区要町、板橋などでトイレや風呂のない一間のアパートに住み、家賃滞納と強制退去を繰り返していたそう(^_^;)

この間、港湾荷役や酒屋の小僧、警備員などの肉体労働で生計を立てていたと話されています。

その傍らで、16歳頃から神田神保町の古本屋に通い、戦後の探偵小説の初版本などを集めはじめ、後に人生を変えるきっかけへと足を踏み入れます。

そこで出会った土屋隆夫さんの『泥の文学碑』を通じ小説家としての道を歩み始めたそうです。

1994年より1996年まで私家版『田中英光私研究』全8冊を刊行、この研究書の第7輯に私小説「室戸岬へ」を発表。

第8輯にも私小説「野狐忌」を発表しています。

西村賢太さんの作風は強烈な私小説としても知られてますよね。

また「瘡瘢旅行」で、敬愛する藤澤清造さんのことを「小説家」ではなく「私小説家」だと呼んでいるエピソードも有名です。

小説家としての活動

2003年夏、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始めた西村賢太さん。

2004年、『煉瓦』第30号に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出されましたが、同年に『煉瓦』を退会しています。

2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。

2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。

2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。

2009年、「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。

2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。

芥川賞受賞後の2011年7月には、「この受賞の流れを逃したら次はない」 という西村賢太さんの提案で『根津権現裏』を復刊させました。

2012年には「藤澤清造短篇集」を刊行。

そしてその強烈な経歴とキャラクターが話題となり、小説家でありながらワタナベエンターテインメントに所属していた異色の小説家でもあります。

2012年10月2日からTOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』にレギュラー出演していましたが、2013年6月4日の放送で終了直後に突然降板発表。

降板理由については、『かねてより番組スタッフとMCの段取りの悪さに不満を募らせ続けており、それがこの日の我慢のできず爆発した』と週刊誌の取材に話されてました。

そんな波乱万丈の人生でした西村賢太さんですが、2022年2月4日夜、タクシー乗車中に意識を失い病院に搬送され、翌5日、東京都内の病院で逝去されたそうです。

改めてその経歴を振り返ると生い立ちから壮絶だったことがわかりますよね…

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西村賢太のプロフィール

西村賢太

引用元:Twitter

生年月日:1967年7月12日(享年54歳)

東京都江戸川区出身

町田市立中学校卒

主な作品

『どうで死ぬ身の一踊り』(2006、講談社)

『苦役列車』(2011、新潮社)

『一私小説書きの日乗』(2013、文藝春秋)

『やまいだれの歌』(2014、新潮社)

『芝公園六角堂跡』(2017、文藝春秋)

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西村賢太は結婚せず独身だった

西村賢太さんは生涯独身で結婚をしませんでした。

その理由についてご自身が話されています。

気になる理由とは…

嫁が老けてく一方だから結婚するのは損


…えっ?!

まぁくせのある西村賢太さんらしいといえば、らしいのですが…(笑)

父親の件で家庭をもつことにトラウマなどがあったのかと思いきやただご自身の事情だったようですね。

キレイなお姉さんがお好きだった西村賢太さんの一面があきらかになりまねし(^_^;)

そんな西村賢太さんでしたが、芥川賞を受賞した作家としての半生は波乱万丈だったのかもしれません。


今回早すぎる逝去となった西村賢太さんですが、その原因は発表されてません。

しかし、ご本人にとっては日々全力で自分の心に素直に生きてたのかもしれませんね。

改めて西村賢太さんのご冥福をお祈りいたします。

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まとめ

今回は『西村賢太の経歴や出身学歴に結婚しないのは父親の影響?』としてまとめてみました。

その生涯はまさに小説のような波乱万丈な人生だった西村賢太さん。

ただ一つ言えるのは周りになんと言われようと、何が起きようと自分の心に素直だった人なのかもしれませんね。

西村賢太さんのご冥福をお祈りいたします。

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

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