大谷亮平は清風高校のバレー部キャプテン!熱血スポ根俳優の評判も!

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韓国のダンキンドーナツのCMで大ブレイク!

韓国から日本に逆輸入俳優として注目を浴びている大谷亮平さん。

大谷亮平さんはバレーボールがプロ級と有名ですが、どうやら出身高校はあの超名門清風高等学校とのこと!

現在新たな番組の企画ぇ、高校バレーボール部を指導することになり、再びイケメン俳優の大谷亮平さんの高校時代に注目が集まってます。

そこで今回は大谷亮平さんの清風高校時代のバレーボールエピソードを中心にご紹介していきたいと思います!

 

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大谷亮平は清風高校バレーボール部

大谷亮平さんは1996年4月に清風高等学校へ入学し、1999年3月に卒業しています。

 

大谷亮平さんが清風高校出身であることは、2017年2月1日放送の『あいつ今何している?』に出演した際に出身高校として話されてました。


大谷亮平さんの高校時代は超名門清風高校のバレーボール部キャプテンとして活躍されてたそうです。

また大阪選抜チームのキャプテンも務めてたほどの実力の持ち主!

朝練や放課後も練習し国体に出場するほどの実力だった大谷亮平さん。


清風高校のキャプテンという経歴は高校バレーを知る人からすると尊敬レベルなのではないでしょうか?

 

ちなみに大谷亮平さんのポジションはセッターだったんだそう。

清風高校時代の大谷亮平さん、高校時代からイケメンですよね(^^)

スポーツができて、バレーボール部のキャプテンでイケメンで…!!

きっと清風高校時代はモテモテだったはずです。

そんな大谷亮平さんの清風高校時代のエピソードですがらバレーボール部の練習後はお腹が空くので、朝練の前に学校の隣のパン屋さんに行って『ピロシキパン』を買って食べるのが楽しみだったとも話されてます。

その際は一度に3、4個も一度に食べていたんだとか(゚∀゚)!

確かに食べざかりの学生さんにとって、清風高校バレーボール部の練習は相当ハードでお腹も空きますよね(^_^;)

ちなみにこの練習後のパン屋は隠れて行ってたそうです(笑)

というのと顧問の先生がめちゃくちゃ怖く、「パンを買食いしていたことがバレでもしたら”終了”でした」と話されていてます(笑)

清風高校は私立で規律も厳しい高校と言われてるので尚更だったのかもしれませんね(^_^;)

余談ですが、その怖い顧問というのは徳田睦男さんです。

名顧問として知られてる徳田先生。

しかし大谷亮平さんは卒業したあとも徳田先生が怖かったようで、中々会いにいけなかったんだとか(笑)

徳田睦男先生は、大谷亮平さんの高校時代を「生真面目にバレーに取り組んでいる生徒で、勝負には厳しい子だった」と言っています。

先生の厳しさは大谷亮平さんを期待してたからこそだったのかもしれませんね。

大谷亮平さんはここまで順調にバレーボールの道を歩んできたこともあり、大阪府の大会までは挫折を知りませんでした。

しかし全国大会ではそのレベルの高さを思い知らされ、鼻をへし折られたと語ってます。

大谷亮平さんは清風高校時代をこのように語ってます。

高校の3年間は、これまでの人生の中で一番長く感じられましたね。授業のほかはバレー漬けで練習は厳しく、家に帰っても寝るだけ。キャプテンというだけで理不尽な扱いもたくさん受けましたし、心身ともに追い込まれて、地獄のような毎日でした。

当時は地獄のような清風高校時代だったのかもしれません。

しかしこの清風高校時代の経験が俳優大谷亮平さんにとって、どんな事も乗り越えられる強い心を作ったのかもしれません。

 

大谷亮平の出身大学

大谷亮平さんは1999年4月に亜細亜大学へ入学し、2003年3月に卒業しています。

大谷亮平さんは清風高校時代のバレーボールの経験と実績から大学にはスポーツ推薦の特待生で入学したそうです。

大谷亮平さんは大学でもバレーボールで活躍していました。

しかし身長が182㎝と一般では高身長ですが、バレーボールの世界では低い方だったので限界を感じていたんだそう。

2018年6月1日発信の『Numero』で受けたインタビューによると、バレーボール選手はあきらめて体育教師になろうとも一時は考えていたんだとか。

しかし、いっそのこと別世界へとモデルに転向した途端に韓国からオファーがあり渡韓することに…!!

韓国デビューした大谷亮平さんは韓国のダンキンドーナツのCMに出演し、一気に大ブレーク!!

 

ダンキンドーナツのCMで注目を浴び、韓国の芸能事務所から「韓国語を覚えて俳優にならないか」というのがきっかけでモデルから転身。

大谷亮平さんは俳優として2003年から12年間、韓国で活動していました。

デビューした当時は韓国の芸能事務所は2年契約だったそうですが、人気俳優になったことで12年も延びてしまったんですね。

この韓国での芸能活動をしていた時に、韓国でトップクラスの大学『延世大学』に半年間通っていたという情報があります。

延世大学は私立の大学でありながら2018年のアジア大学ランキングで20位にランクイン。

東京大学が8位で京都大学が11位であることを考えると、大谷亮平さんはバレーボールやスポーツだけでなく、学力もかなりある方だったようです。

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大谷亮平とバレーボールの出会い

大谷亮平さんの父はサラリーマンで母が小学校の教師、2つ上の姉と6つ下の妹のいる家の長男として、大阪で育ちました。

いつも外でドッジボールや野球をして遊んでいる、元気な子だったそうです。

そんな元気な大谷少年を近所のおばさんが「バレーの練習に来ない?」と誘ったことからバレーを始めたそうです。

しかしこの裏側にはそこのバレーボールチームは一度入ったら辞められない厳しいクラブだったから続けてたという事実も(笑)

当時はスパルタ指導も当たり前!

ビンタが半端じゃない勢いで飛んでくる環境で、過酷な練習を耐え忍んだからこそ、大阪で1位になって全国大会にも出場できたと当時のエピソードを話されていました。

中学でも、小学校のクラブのメンバー全員でバレー部に入部した大谷亮平さん。

中学はこれまでと全然違い、顧問はバレーの専門知識がなく特別運動神経のいい部員がいるわけじゃなかったけれど、大会に出るとなぜか優勝する部活だったそうです。

それは小学校時代のキツい3年間があったからなのかもしれません。

大阪ではスター選手扱いだったので、いずれは全日本の選手になってオリンピックへ行くんだ!と当時は本気で思っていたそうです。

このオリンピックの夢は叶いませんでしたが、オリンピック級の練習を重ねてたのが伝わってきましたよね(^^)

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大谷亮平、再びバレーボールの世界へ

大谷亮平さんが、土曜お昼の情報番組『せやねん!』でスポーツ新企画を担当することが決定し再びバレーボールの世界に携わることに…!!


今度はOBとして母校清風高校バレーボールを訪問した大谷亮平さん。

これは『大谷亮平の熱血!届けます』という企画で、次世代の日本を代表する未来のアスリートとともに汗を流しながら、学生たちのスポーツにかける思いや苦労などを紹介するというもの。


今回は母校清風高校バレーボール部を取り上げましたが今後は様々なスポーツの未来のアスリートを取材するそうです!

大谷亮平さんも再び形を変えて母校清風高校バレーボール部を訪問できて感無量だったよう。

今後は松岡修造さんのような熱血スポ根タレントとしての活動の幅が広がるかもしれませんね(^^)

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まとめ

今回は大谷亮平さんの清風高校バレーボール部としてのエピソードなどご紹介しました!

オリンピックを目指すほどバレーボールに全力を注いでた大谷亮平さん。

今後、スポーツを別の視点でサポートする立場になり更に活躍の場が広がりそうですよね!

それも高校時代の経験があったからこそ!

大谷亮平さんの今後が楽しみです。

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

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