松鶴家千とせの経歴や出身学歴まとめ!ビートたけしの師匠の素顔は?

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アフロヘアにサングラスをかけ「わかるかなあ、わかんねえだろうなあ。いえーい!」で一世風靡した漫談家、松鶴家千とせさん。

その松鶴家千とせさんが2022年2月17日に84歳で逝去され話題になっています。

松鶴家千とせさんといえばビートたけしさんとビートきよしさんのツービートの師匠としても知られてますよね。

今回の訃報をうけ、いま一度松鶴家千とせさんの経歴や出身学歴など気になる方も多いのではないでしょうか?

そこで今回は『松鶴家千とせの経歴や出身学歴まとめ!ビートたけしの師匠の素顔は?』としてご紹介したいと思います。

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松鶴家千とせの経歴やプロフィールは?

ビートたけしさんの師匠としても知られる松鶴家千とせさん。

漫談家・歌手・司会者として、活躍されてた松鶴家千とせさんですが、なんといってもそのトレードマークはアフロヘアにサングラスですよね!

そんな松鶴家千とせさんの経歴やプロフィールについ改めてご紹介したいと思います。

松鶴家千とせプロフィール

松鶴家千とせ(しょかくや ちとせ)

  • 本名 小谷津 英雄
  • 生年月日 1938年1月9日
  • 出身地 満州
  • 師匠 松鶴家千代若・千代菊
  • 芸風 漫談
  • 事務所 千とせプロダクション
  • 他の活動 元東京演芸協会常任理事

 

松鶴家千とせさんは芸能界でも漫談家や司会者、歌手としてもその活動は多彩でしたが、全国さつまいもの会会長に元東京演芸協会常任理事、元南相馬市ふるさと親善大使なども務められてました。


そんな松鶴家千とせさんの経歴についてもまとめてききたいと思います!

松鶴家千とせの経歴は?

松鶴家千とせさんは中国・満洲の出身だそうです。

今回の訃報をうけ、改めて松鶴家千とせさんを思い出したり、松鶴家千とせさんの経歴についても気になる方も多いのではないでしょうか?

プロフィールに続き、松鶴家千とせさんの経歴についても振り返っていきたいと思います。

満州で産まれた松鶴家千とせさん。

水道設計技師の父の仕事で満洲にいたそうですが、1945年に父がロシア兵の捕虜になったため、母と共に6人で満州国を脱出し日本に帰還さらたそうです。

なお、松鶴家千とせさんの父もその後6年間の抑留を経て日本に帰還されてます。

松鶴家千とせさんはご家族と福島県南相馬市で過ごしたそうで、学歴としては福島県立原町高等学校を中退されてます。


高校中退後、ジャズシンガーを志し1953年に上京。

そこで松鶴家千代若・千代菊さんに入門します。


弟子入り後は、歌謡学校で歌を勉強しながら、理容学校を卒業。

歌手修業を積みつつ、1958年に国際理容師の免許を取得されたそうです!

あのアフロヘアにも理容師としてのこだわりがあるのかもしれませんね( ̄ー ̄)ニヤリ!

1960年には、西秀一・秀二のコンビ名で関東近郊の公会堂などで漫談、漫才で出演し、妻の千枝子さんと結婚されます。

その後、1967年に千とせ流家元三代目松鶴家千とせを襲名

1968年、宮田羊かんさんと共に漫才コンビ松鶴家千とせ・宮田羊かんを結成します。

1969年、1970年、1971年の「NHK漫才コンクール」には3年連続本選まで残ります。

浅草の松竹演芸場をホームグラウンドに、1974年頃からテレビ、ラジオ番組などでも大活躍!


そして、松鶴家千とせさんには欠かせないトレードマークのあごひげとアフロヘアーが人気でブームを起こしました。
https://twitter.com/qPivZBU3BCxa6ix/status/1494209783909724163?t=eGXop0m7y-PnPVOOcGaaKw&s=19
そして「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」のフレーズで、大人気に…!!

1974年頃「シャバダバダディ〜!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。」とギャグを飛ばし、『夕焼け小焼け』の替え歌の漫談で注目を浴びました(^^)

1975年にはシングル『わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)』をリリース。


さらにその勢いは止まりません!

1976年には2本目の出演映画として東映の大ヒット映画『トラック野郎・望郷一番星』に出演。

ここまでは漫談家や歌手・俳優としての芸能活動をご紹介しましたが、1981年には、東京都足立区を中心に「全国さつまいもの会」を結成。

東京都の足立区庁舎ホール、老人ホーム、福祉施設などで公演されてたそうです。

また、東京都の足立区社会福祉協議会に寄付をしていて、ボランティア活動にも精力的に取り組んでいた松鶴家千とせさん。

また常に好奇心とチャレンジ精神が旺盛で、松鶴家千とせさんはご自身のホームページを自作するほどITにも興味があったそうです。

また後ほど詳しくご紹介しますが、松鶴家千とせさんといえば、ビートたけしさんの師匠としても知られてます。

84歳にて逝去された松鶴家千とせさん。

その人生は常にユーモアあふれ、そのインパクトある見た目だけでなく、人情味あふれたお方だったようです(^^)

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松鶴家千とせはビートたけしの師匠

松鶴家千とせさんといえばネットを検索するとでてくるのが、ビートたけしさん・ビートきよしさんのツービートの師匠でもあります。

松鶴家千とせさんが人気が出る少し前、ビートたけし・きよしさんのツービートの二人が弟子入りを希望してきたそうです。

ビートたけしさん・ビートきよしさんのツービートの二人は松鶴家千とせさんの前で手をついて弟子にしてくれと頭を下げたそうです。

ビートたけしさんやきよしさんは当時からテンポのいい、ビートの利いたような漫才をされてたそうです。

それでビートの利いて、かつ二人だから『ツービート』に決まったそうです。


ビートたけしさん・きよしさんのツービートの師匠には様々な説がありますが、名付け親である松鶴家千とせさんは自分がビートたけしさんの師匠と公言されてます。

「私の弟子をみんな千代若師匠の弟子にしちゃえと言った奴がいるんです。師匠も悪い気がしないから、たけしたちを弟子にしちゃった。はっきりと書いてください。たけしは私の弟子で、ツービートは私が名前をつけたんだから」

引用元:https://lite.blogos.com/article/346180/?axis=&p=4

そんな“弟子”であったビートたけしさん・きよしさんのツービートは“毒舌漫才”で一気に駆け上がり、現在も活躍されてる大御所となりました。

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松鶴家千とせの逝去にネットの声は?

今回の松鶴家千とせさんの逝去にネットの声もみてみました。


https://twitter.com/merodyukyan/status/1494221689244160001?t=YT8_ZzzD65y0NnQhU51meg&s=19

昭和を代表する漫談家の逝去に寂しいとの声や、あの一世風靡したネタが好きだったなぁ〜という声が多く、惜しむ声がとても多かったです。

改めて松鶴家千とせさんのご冥福をお祈りいたします。

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まとめ

今回は『松鶴家千とせの経歴や出身学歴まとめ!ビートたけしの師匠の素顔は?』としてご紹介しました。

松鶴家千とせさんのプロフィールや経歴を振り返ると、生涯ユーモアある人生とボランティアなどその人柄も人情味あるかただとわかりました。

またビートたけしさんのツービート名付け親として師匠でもあった松鶴家千とせさん。

昭和を代表する漫談家・司会者・歌手としてその活躍は皆の心に残るのではないでしょうか?

改めてご冥福をお祈りいたします。

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

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